小栗上野介忠順は幕臣で、勘定奉行、
横須賀に製鉄所(実際は造船所)を
造ろうと強力に邁進しました。
しかし、明治維新のさなか、逆賊とされ
捕らえられ世を去ります。
親族も肩身の狭い思いをされましたが、
後に、日露戦争に勝利できたのは、
小栗忠順の造船所のおかげと評価されたそうです。
小栗忠順は何をした人?造船所を造り日本の近代化を進めた
小栗上野介忠順の功績のうち、代表的なのは、
横須賀製鉄所を造ったことです。
製鉄所という名目でしたが、実際は造船所で、
日本国内で様式の軍艦が造れるように
進めたのです。
技術はフランスの技師を招いて伝えてもらいました。
また、多額の資金はフランスの実業家から借りたようです。
小栗忠順の造船所は明治維新後も残ったので、日露戦争にも間に合った
明治維新の際は、幕府方で造った横須賀製鉄所は
壊すことになっていたようですが、
小栗氏は返事だけしておいて、実際は壊さなかった
ようです。(ドラマの場面で観ました)
そのおかげで、日本は自前の軍艦を造ることができ、
日露戦争の時も、強国ロシアのバルチック艦隊も
破ることができました。
日本の勝利は小栗氏が開いた造船所のおかげだと、
時の軍部の偉い方が、小栗氏の子孫の方に
お礼を伝えられたそうですよ。
小栗忠順の生涯
小栗忠順は、文政10年(1827年)6月23日に、
江戸で生まれました。
父は旗本:小栗忠高
母は邦子
※ 2027年の大河ドラマ「逆賊の幕臣」で、
主人公として描かれます。
ちょうど生誕200年の年に、大河ドラマに
取り上げられるのですね。
小栗忠順の生家跡地には東京YMCA会館が建っている
小栗忠順の生家は旗本でしたので、
江戸城の近くに住んでいました。
小栗忠順の生家は、現在の東京都千代田区神田駿河台
の甲賀通り沿いにありました。
現在は、生家跡地の辺りには、
東京YWCA会館が建っています。
その建物と隣の薬局との境の辺りに、
地元・千代田区が設置した、まちの記憶という
説明板があり、
1827年 文政十年 小栗上野介ここに生まれる
と、日本語と英語で記載されていました。
小栗忠順の家族は?
小栗忠順の最期は


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