藤堂高虎(とうどうたかとら)は、秀長秀吉を裏切って家康に仕えたわけではなく、
外交を担っていたので、交渉相手の家康に実績と人柄を知られて、信頼されていたから家臣として取り立てられたようです。
藤堂高虎は仕える主君を度々変えたことから、
戦国時代の世渡り上手!?とも
言われますが、
この記事では、藤堂高虎は、なぜ
秀吉や秀長を裏切って?家康に仕えたのか、
深掘りしてみます。
藤堂高虎の何がすごい?
藤堂高虎の何がすごいのか、
あげてみます。
・お城作りの名人であった(今治城、
・仕える主君を7回以上変えた
・天下泰平の世では大名となり、
領国の発展に尽くした
・子孫に二百箇条の遺訓を遺した
藤堂高虎の生い立ち・若い頃
藤堂高虎が生まれたところは、
近江国(おうみのくに)藤堂村、
現在の滋賀県犬上郡甲良町(こうらちょう)在士(ざいじ)です。
滋賀県東部、鈴鹿山脈から琵琶湖に開けたところに位置するそうです。
犬上川(いぬかみがわ)が流れている町だそうです。
藤堂高虎が生まれたのは、西暦1556年です。
藤堂家の八代目、藤堂虎高の次男として生まれました。
※ 現在は、出生地を表す石碑が甲良町に建てられています。その石碑には『伊勢國安濃津城主 藤堂髙虎公出生地 』と刻まれています。ちなみに、石碑の揮毫(きごう:字を書くこと)は日光東照宮の宮司さんだそうです。
藤堂高虎は子供の頃から、体格が大きかったそうです。
大人になると身長190センチぐらい、体重も100kgを超えていたそうです。
藤堂高虎が仕えた主君・若い頃
藤堂高虎が若い頃仕えた主君は、
① 浅井長政
最初に仕えました。
②阿閉さだゆき
藤堂高虎は秀長に仕え成長した
藤堂高虎は、二十歳の時、羽柴(豊臣)秀長の家臣として仕えました。
秀長は、藤堂高虎を300石で雇ってくれました。
(ちなみに以前の主君からは100石程度だったそうです。)
300石あると家来を雇えるそうです。
藤堂高虎は、初めて自分のことを評価してもらえたと感じたのかもしれないですね。
秀長は、天下人 羽柴(豊臣)秀吉の弟で、外交や調略・経済に関することなどで秀吉を支え続けた人物です。
大河ドラマ『豊臣兄弟』では、
織田信長の命令を受けた秀吉が、
それを秀長に託し、(・・丸投げ??)
秀長は知恵、経験、観察、誠意気配り、裏の裏の裏を読み、切り抜けて
もちろん、ドラマは史実を元に秀長は誠意を持って
外交や調略で成果を上げる
その秀長の姿から、藤堂高虎は多くを学んだと推測されます。
特に外交です。
(ここで言う外交とは、いわゆる海外の国に対してではなく、日本国内での国・戦国大名同士のことを指します)
藤堂高虎は秀吉にも望まれて
藤堂高虎はなぜ裏切った?家康の元へ
まとめ
・
(私は昨年初めて滋賀県の琵琶湖近くに
行きました。
広大な琵琶湖に沈む夕日の美しさ、
琵琶湖大橋を中心に京都方面へ向かう車と、北陸や東海、関東へつながる大渋滞に遭遇しましたが、
この地が交通・経済などの要衝だと身を持って実感できました。)


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