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豊臣秀長いつ死去?死因、墓はどこ?妻や子孫は?生きていたら?

豊臣兄弟!
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豊臣秀長は兄秀吉を支えるも、51歳で死去、

死因は病死、

墓は奈良県大和郡山市と京にもあります。

正妻は慈雲院殿で70代まで存命でした。

側室もいました。

秀長の実子は夭折が多いが、

豊臣一族の血脈の子孫はたどれるようです。

秀長が長生きしていたら歴史が変わっていた

と言われます。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」で注目され、

研究が進んできた秀長について、

詳しくは以下の記事をご覧ください。

 

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豊臣秀長はいつ死去?死因、墓はどこに?

豊臣秀長が死去したのは、

天正19年(西暦1591年)正月22日

享年 51歳~52歳

大和郡山城で亡くなりました。

(やまとこおりやまじょう 奈良県北部)

死因は、病死と伝わるそうです。

 

病気になった遠因のひとつとして、

激務の疲れやストレスもあったのではと、

推察されるそうです。

秀長は、秀吉とともに戦に出て

勝利したあとも、領土の確定などの

残務処理のため残り、戦後処理の交渉に

当たることもありました。

かと思えば、秀吉の命でとんぼ返りして、

外交交渉や接待などに当たることもありました。

相当の激務とストレスが、何年も続き、

病が重くなったのでは、とのことです。

 

兄・秀吉は弟秀長の死去を大変悲しんだそうです。

 

葬儀は、1月29日に郡山・大光院で執り行われました。

万を超える領民が集まったと伝わります。

 

そして、大光院から西北におよそ300mほど

離れたところ・現在の大納言塚に埋葬された

そうです。

お墓は豊臣家がほろんだあと、藤堂高虎が再建、

墓碑を京都・大徳寺大光院に移しました。

なお、秀長の位牌は、大和郡山・春岳院に預けられたそうです。

そのため、大和郡山には、

「大納言塚」と呼ばれる墓所跡が

残っているそうです。

なお、大納言塚はのちに白壁土塀が造られ、

高さおよそ2メートルに及ぶ五輪塔も

建立されました。

そこには、秀長の戒名

『大光院殿前亜相春岳紹栄大居士』が

刻まれているそうです。

この戒名の中にある「春岳」から

春岳院の名になったようです。

 

春岳院さんは、豊臣秀長の菩提寺では

あるものの、お寺の各所の傷みが進んだ

ことから、クラウドファンディングにて

寄付を募り、お寺の修繕をされたそうです。

 

なお、史料によっては、豊臣家墓所が

高野山奥の院にあるとの記載もありました。

秀吉が、ここへ墓所を造ったとのことらしいです。

高野山奥の院は、名だたる武将などの墓所として

人気があったようです。

 

秀長は、外交交渉などを通じて、徳川家康とも

親しかったため、

家康は、秀長の追善法要を執り行ったそうです。

 

私は、昨年11月に秀長の最期の地・大和郡山城と、

菩提寺の春岳院を訪ねてきました。

(春岳院は修繕工事中でしたので、通りから

眺めさせてもらっただけですが、)

(大納言塚のことはまだよく知らなかったのと、

時間の関係で、そこまではいきませんでした。)

駐車場からそこかしこに、「秀長さんゆかりのまち」

というのぼり旗が立てられていました。

豊臣秀長が、今でも大和郡山市の皆さんから

愛され親しまれているのが、

とても感じられました。

 

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豊臣秀長の妻はだれ?

秀長が大河ドラマの主人公になったことから、

時代考証を担当される歴史研究者のご尽力で、

秀長の妻についても、研究が進んできたそうです。

NHK大河ドラマ歴史ハンドブック・「知られざる秀長の妻の実像」黒田基樹氏

によりますと、

正室・慈雲院殿は、

1549年頃、織田家家臣とみられる

神戸秀好と養春院殿の子として生まれたか

18歳位で、秀長と結婚か、子供は二人

44歳頃、夫秀長に先立たれる

以後、大和羽柴家の実質的家長として

家を守る。

56歳頃、母養春院が亡くなる

その後、京都に在住した記録在り

72歳頃、亡くなる。

とのことです。

なお、名前はわかっていませんが、

戒名の中に「慶」の文字があることから、

大河ドラマでの役名は「お慶(ちか)」と

なったそうです。

 

 

また、MSムック・豊臣秀長と秀吉 によりますと、

側室・光秀尼とついては、

1552年 生まれる 父は秋篠伝左衛門

(大和郡山で秀長に仕えていた人)

秀長と結婚

娘(のちの秀保の妻)を産む

秀保の没後、秀吉より200石の領地を与えられる

69歳、奈良の尼寺・興福院の院主となる

(そのため、生没年だけ伝わる)

71歳で亡くなる、

とのことです。

 

私は、今回妻について調べてみて、

大河ドラマの主人公に選ばれることで、

こんなにも研究がすすむのかと、

驚きました。

 

 

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豊臣秀長の子孫は?

嫡男・与一郎は天正10年(1582年)に早世

長女 は養嗣子・秀保(秀長の姉ともの三男)

と結婚したが、子はなかった。

次女・大善院(だいぜんいん)は、

秀吉の養女となり、毛利秀元の正室になったが、

子はなかった。

 

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豊臣秀長が生きていたら?

兄・豊臣秀吉の一生は、「秀長がいた時代」と

「秀長を失った時代」に大別できるそうです。

 

豊臣秀長は、秀吉の「ご異見番」だったとされています。

偉くなると、周囲にイエスマンばかりが増えがちですが、

豊臣秀長は、秀吉にノーと言える貴重な存在でした。

また、突っ走る秀吉と、周りとの間に立ちました。

秀長の温厚な人柄で、兄の激しすぎる点を補ったり、

諸大名との間も取り成しました。

 

秀長本人も、自分の役割の重要性を

深く自覚されていて、

亡くなる一か月ほど前に、

見舞いに来た前野長康に、

4つの心配事を語っています。

・高麗国征伐のこと

・淀殿に子が誕生してから上下の和が乱れていること

・奥州での仕置きのこと

・千利休のこと

 

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まとめ

2026年NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、

弟である秀長が主人公として、描かれます。

親子で安心してみられるドラマとして、

親しまれているようです。

今後の展開が楽しみです。

 

 

 

 

主な参考文献など

:NHK大河ドラマ 歴史ハンドブック 豊臣兄弟!〈豊臣秀長とその時代〉 監修 黒田基樹 NHK出版 2026年

:MSムック 豊臣秀長と秀吉 戦国乱世と天下統一への道 監修 福田智弘 メディアソフト 2025年

:別冊歴史読本 太閤秀吉と豊臣一族 新人物往来社 2008年

:図説 豊臣秀長 秀吉政権を支えた天下の柱石 河内将芳 著 戎光祥出版 2025年

:世界ナンバー2列伝 史上最強補佐役・宰相・顧問・右腕・番頭・黒幕・参謀 著者 山田昌弘 社会評論社 2013年

:図解 豊臣秀長 「No2」の仕事術 著者 中野 明 Gakken

:NHK 英雄たちの選択「月影の男~天下人の弟 豊臣秀長~」2025.6.16

:NHK 先人たちの底力 知恵泉 新春SP 豊臣秀長・寧々 リーダーを支える!家族の知恵

:BS11 第121回 新春スペシャル!偉人・敗北からの教訓 豊臣兄弟 編 2026.1.3

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