蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)は、
江戸時代のメディア王と言われています。
出版や本屋の事業をした方で、
有名な絵師や戯作者の作品を
世に送り出したりしました。
江戸の文化を活気づけた方だそうです。
NHK大河ドラマ2025
べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜
(つたじゅうえいがのゆめばなし)で、
主人公として取り上げられ、
注目を集めています。
演ずるのは、横浜流星さんです。
初回1月5日の放送では、
機転が利いて行動力あふれる蔦重を
熱演されていて、
笑顔に一気に惹きつけられました。
蔦屋重三郎の子孫の現在は?
子供はいたのか?お墓の場所は?
妻はどんな女性だったのか?
子供が事業を継いでいるのか?
など調査しました。
蔦屋重三郎、子孫の現在は?
蔦屋重三郎は、寛延3年(西暦1750年)
の1月に生まれました。
幼名は 柯理(からまる)だそうです。
父は、丸山重助(吉原の使用人)尾張出身
母は、廣瀬津与 江戸出身
7歳の頃に、
吉原の蔦屋(喜多川氏)の養子になり、
通称・蔦屋重三郎と呼ばれるように
なったそうです。
【追記】
後年、重三郎は、日本橋に自身の店を
移した際に、両親を呼び寄せ一緒に
暮らしたそうです。
(集英社版・学習まんが世界の伝記NEXT
蔦屋重三郎)
の中では、蔦重 とか 蔦の重三(じゅうざ)
と呼ばれていますね。)
のちに江戸のメディア王・名プロデューサー
・浮世絵の版元となった蔦屋重三郎の
子孫の現在はどうなのか、
気になりますよね。
これについて調べましたが、
妻がいたという情報(お墓の墓碑銘)はあり
ましたが、蔦屋重三郎につづく子孫が
わかる情報には、出会えなかったです。
ただ、
後段「蔦屋重三郎の子供は耕書堂を継いだ?」
にも書いたように、
「蔦屋重三郎」という名前は
2代目~4代目まで襲名されていて、
その方達も1代目蔦屋重三郎と同じお墓に
埋葬されたということです。
なので、広い意味では、子孫と言えるのかな、
という印象です。
江戸時代には、現代のような
戸籍制度に代わるものとして
お寺に過去帳というのが、
あったそうです。
ただ、家ごとではなく、
亡くなった順に記載されていた
らしいです。
私が蔦屋重三郎という方のことを
知ったのは、今回大河ドラマで
注目されてからでしたが、
既に多くの先人の方々が、
蔦屋重三郎に関して、
調査研究されてこられたようです。
なので、お寺の過去帳も探されて
いることと思いました。
蔦屋重三郎の子供はいたのか?
2025年の大河ドラマが始まり、
しばらくすると、
『蔦屋重三郎には子供が2人いた』
という説も見受けられるように
なりました。
このように、大河ドラマの主人公として、
注目される効果で
史料や史実の研究が進んだり、
書籍やいろいろな機会に発表されたり
すると、新たにわかってくることも
あると、時代考証を担当されたりする
専門家の方も、著書などで書かれて
いました。
実際、放送の前年あたりから、
関連本が出版されたり、
登場人物のゆかりの地など、
各地の研究でわかったことが
地域発の番組で、
放送されたりしていました。
私は、歴史に関することが、
大河ドラマによっても研究が
進むというのが、
とても興味深いなと思いました。
蔦屋重三郎、墓は江戸のどこに?
蔦屋重三郎は、46歳の夏頃に
脚気にかかり、秋には重病となり、
寛政9年(西暦1797年)
5月6日に47歳で亡くなったそうです。
蔦屋重三郎の墓は、菩提寺(ぼだいじ)
(先祖の墓があるお寺のこと)の
正法寺(しょうほうじ)にあるそうです。
場所は現代の台東区東浅草とのことです。
お寺のホームページを拝見しますと、
蔦屋重三郎のお墓は、
現在は石碑があるそうです。
その石碑には、蔦屋重三郎の
趣味の狂歌(きょうか)の仲間
・石川雅望と大田南畝が墓碑銘を
寄せてくれていて、
また、幼くして別れた母への碑文も
あるそうです。
お仲間から愛されていた方
だったのですね。
蔦屋重三郎の元々のお墓は、
火事や震災、また戦火によって、
焼失してしまったようでして、
そのことを、正法寺さんでは
とても残念に思われている様子が
伝わってきました。
また、大河ドラマで蔦屋重三郎が
取り上げられ、注目を集めたので、
そのお墓にお参りされる方も
増えたそうです。
私は、お参りされる方が増えたのは、
現代のメディアの効果だと知ったら、
江戸時代のメディア王蔦屋重三郎さんは、
さぞや興味を持たれるだろうなと、
想像しました。
【追記】
正法寺さんでは、お参りの方に
蔦屋重三郎との関わりがわかる
説明書きを配ってくださるそう
ですが、大河ドラマの放送が
始まったらお参りがとても増え、
準備が大変になったので、
ホームページのお知らせに
説明書きを載せ、読めるように
してくださってありました。
(遠方ゆえにお参りに行けない者に
とっても、大変ありがたいことです。)
そして、さらにありがたいことに、
拝読しましたら、
知りたかった蔦屋重三郎の妻の名前も
記載があったのです。
※次は、蔦屋重三郎の妻についてです。
蔦屋重三郎の妻は「狂歌」を詠んだ?【追記あり】
蔦屋重三郎の菩提寺・浅草の
正法寺さんのホームページ、お知らせ
『お寺でお配りしている説明書き
「蔦屋重三郎と正法寺」
「誠向山正法寺について」』
記事公開日:2025年2月28日によると、
墓石に刻まれている中に、
『錬心院妙貞日義信女』とあり、これが、
蔦屋重三郎の妻 おてい だそうです。
なお、前出のお墓の墓碑銘の中には、
「・・妻と別れの言葉を交わし・・」と
記されているそうです。
ところで、
NHK大河ドラマ2025
べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜 では、
蔦屋重三郎の妻・てい の役を、
橋本 愛さんが演じます。
橋本 愛さんといえば、
2021年の大河ドラマ
青天を衝け (せいてんをつけ)で、
主人公・渋沢栄一の妻役として、
好演されていました。
また、2018年大河ドラマ
西郷どん (せごどん)でも、
西郷隆盛の最初の妻を演じたそうで、
今回が3度めの正妻役になるそうです。
私は、橋本 愛さん演じる
蔦屋重三郎の妻役も、楽しみです。
【追記】
橋本 愛さんは読書家で、
週刊文春の「文春図書館」に
『私の読書日記』を連載中。
(橋本 愛さん他5名が毎週交代で
執筆)
私は、橋本愛さんが執筆された、
社会問題を取り上げた本の読書日記を
拝読したら、
熱く真っ直ぐな思いが伝わってきて、
大河での蔦重の妻役(本屋の妻)に
本当にぴったりだなと、思いました。
【追記】
蔦屋重三郎の妻に関する記録を探していたら、
『学研まんが 日本と世界の伝記 蔦屋重三郎
本と浮世絵で出版文化を粋に咲かせた江戸っ子
Gakken』の豆知識の欄に、
『いたみ諸白』という狂歌集には、蔦唐丸(重三郎の狂名)のほか、
重三郎の母親や妻の狂歌ものっている。
と記載されていました。
そこで、「いたみ諸白」(もろはく)
について調べたところ、
いたみ諸白は、
大阪大学附属図書館の所蔵、
忍頂寺文庫の
中にあるそうです。
国書データベースから確認できる
ことがわかり、リンクから、
実物の電子版を拝見できました。
このように公開していただけることは
ありがたいことです。
また、別の資料から、
いたみ諸白というのは、
狂名:大門喜和成という方が、
17歳で、旅先で亡くなられたのを
悼む追善のための狂歌集という
ことがわかりました。
原文のままなので、
狂歌や本文は、私には読みとれない
部分が多いのですが、かろうじて、
狂名は、幾つか読めそうで、
おそらくは、
「蔦唐丸母」と読めるのが重三郎の母で、
「から丸の内待」と読めるのが
蔦屋重三郎の妻の狂名では
ないかと、推測されました。
蔦屋重三郎の子供は事業を継いだ?
蔦屋重三郎の店は『耕書堂』
蔦屋重三郎は、20代前半には、
義兄・蔦屋次郎兵衛の店の
一角を借りて、絵草紙店
(えぞうしだな)を開きました。
現代でいうところの書店ですね。
書店の名前は
「耕書堂(こうしょどう)」で、
場所は吉原大門(おおもん)五十間道
でした。
20代後半(安永7年 1778年)には、
義兄の店の四軒隣で独立しました。
30代前半(天明3年 1783年)には、
日本橋の通油町(とおりあぶらちょう)の
丸屋小兵衛の店舗を買収し、
蔦屋耕書堂を開店させます。
浮世絵の版画や、
黄表紙などといわれる絵入りの
草双紙(くさぞうし)、
戯作本(げさくぼん)など
庶民向けの本を販売していました。
店の様子は、葛飾北斎の浮世絵
「絵草紙店」に描かれています。
また、版元(はんもと)・
現代でいうところの出版社も手掛け、
編集・印刷・卸売・書店まで、
自ら多くの絵師をプロデュース
しました。
浮世絵の喜多川歌麿(きたがわうたまろ)、
東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)、
葛飾北斎(かつしかほくさい)や、
戯作(げさく)の山東京伝
(さんとうきょうでん)、
十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)、
曲亭馬琴(きょくていばきん)などを
世に送り出しました。
さらに、私がすごいなと思うのは、
蔦屋重三郎は趣味で
「蔦唐丸(つたのからまる)」と
いう名で狂歌を詠み、
その仲間・大田南畝(おおたなんぼ)
などとも交流し、人脈を広げ、
狂歌本も出版しているのですね。
しかし、時が移り、
幕府の老中が田沼意次から
変わると、寛政の改革が行われ、
厳しい出版統制があり、
蔦屋重三郎と耕書堂は、
身上半減の刑に処せられます。
私は、蔦屋重三郎の事業ですが、
子供がいたら、
親の仕事を手伝って学ぼうとしたか、
逆に、すごすぎる、いわば
敏腕プロデューサーですから、
とても迫ることはできないと、
尻込みしていたか、
どうだったのかなと、
想像しました。
版元というのは、
経営者のセンスというか、
才覚が重要とのことです。
世の中の流行にアンテナを立てつつ、
世間の人が本当は何を望んでいるのか、
空気まで読み、マーケティングして
仕掛けてゆくのは、
とにかく凄いですね。
蔦屋重三郎の子供は耕書堂を継いだ?
蔦屋重三郎の耕書堂を継いだのは、
番頭(ばんとう)の勇助でした。
(ちなみに、番頭とは、
商家で、店の経理や営業のすべてを
預かる人で、使用人の中では
一番上にあたります。)
蔦屋重三郎は、耕書堂の経営を
番頭・勇助に託し、
すべての身代(しんだい)
(財産のこと)を番頭に譲りました。
また、
二代目蔦屋重三郎と名乗って良いと、
許したそうです。
二代目は、初代のような
斬新なプロデュースこそ
なかったものの、
吉原細見(よしわらさいけん)の
独占販売や、
山東京伝と曲亭馬琴の黄表紙や
合本も出版・販売、
手堅い経営を続けたそうです。
三代目を継いだ、勇助の息子の祐助は、
経営が苦しくなり、
店を小伝馬町から、
浅草寺の雷門外に移転させ、
独占していた
吉原細見の株(かぶ)(特権のこと)を、
同業者の伊勢屋三次郎に
ゆずったようです。
そして、四代目は
地本問屋の株を山田屋庄次郎にゆずり、
版元という事業から完全に撤退
したそうです。
なお、二代目から四代目も、
初代蔦屋重三郎の菩提寺である
正法寺のお墓に、
版元蔦屋重三郎を継いだ歴代として、
親族とともに葬られているそうです。
参考
:別冊太陽 蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋 平凡社
:元祖・敏腕プロデューサーの生涯と江戸のアーティストたちの
謎を解き明かす これ1冊でわかる! 蔦屋重三郎と江戸文化
Gakken
:稀代の本屋 蔦屋重三郎 草思社
:浮世絵EDOーLIFE「べらぼう」の世界 蔦重の店!北斎「絵草紙店」
NHK Eテレ 2025年1月4日(土)午前0:45~午前0:50放送
:蔦屋重三郎の菩提寺・浅草・誠向山正法寺ホームページ、
お知らせ『お寺でお配りしている説明書き「蔦屋重三郎と正法寺」
「誠向山正法寺について」』記事公開日:2025年2月28日
:学研まんが 日本と世界の伝記 蔦屋重三郎
本と浮世絵で出版文化を粋に咲かせた江戸っ子 Gakken
:江戸文化の仕掛け人 蔦屋重三郎と若き芸術家たち 玄光社


コメント