藤堂高虎(とうどうたかとら)は、秀長秀吉を裏切って家康に仕えたわけではなく、
外交を担っていたので、交渉相手の家康に実績と人柄を知られて、信頼されていたから家臣として取り立てられたようです。
藤堂高虎は仕える主君を度々変えたことから、
戦国時代の世渡り上手!?とも
言われますが、
この記事では、藤堂高虎は、なぜ
秀吉や秀長を裏切って?家康に仕えたのか、
深掘りしてみます。
藤堂高虎の何がすごい?
藤堂高虎の何がすごいのか、
あげてみます。
・お城作りの名人であった
・仕える主君を7回も変えた
・天下泰平の世では大名となり、
領国の発展に尽くした
・子孫に二百箇条の遺訓を遺した
藤堂高虎が生まれたところは、
近江国(おうみのくに)、
現在の滋賀県甲良町(こうら)です。
滋賀県東部に位置するところです。
(私は昨年初めて滋賀県の琵琶湖近くに
行きました。
広大な琵琶湖に沈む夕日の美しさ、
琵琶湖大橋を中心に京都方面へ向かう車と、北陸や東海、関東へつながる大渋滞に遭遇しましたが、
この地が交通・経済などの要衝だと身を持って実感できました。)
藤堂高虎は秀長に仕え成長した
藤堂高虎は、羽柴(豊臣)秀長の家臣として仕えました。
秀長は、天下人 羽柴(豊臣)秀吉の弟で、外交や調略・経済に関することなどで秀吉を支え続けた人物です。
大河ドラマ『豊臣兄弟』では、
織田信長の命令を受けた秀吉が、
それを秀長に託し、(・・丸投げ??)
秀長は知恵、経験、観察、誠意気配り、裏の裏の裏を読み、切り抜けて
もちろん、ドラマは史実を元に秀長は誠意を持って
外交や調略で成果を上げる
その秀長の姿から、藤堂高虎は多くを学んだと推測されます。
特に外交です。
(ここで言う外交とは、いわゆる海外の国に対してではなく、日本国内での国・戦国大名同士のことを指します)
藤堂高虎は秀吉にも望まれて
藤堂高虎はなぜ裏切った?家康の元へ


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